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クラッシュ

人と映画の話をしていて、よかった映画何かあるか聞かれたのでしばらくうーんと考えて、クラッシュと答えた。
劇場で観たときはとにかく苦しくて皮肉の効いていて、それでも生きることを描いている映画だと思った。その時はまだ高校生で情勢だとか事情だとかよくわかってなかったのもある。

人に薦めておいて、かなり時間が経っているので観直した。「なんでこんなことをしてしまったんだろう」という映画だった。

好きな人がたくさんいる

とにかく好きな人に出会うともっと仲良くなりたい。と思う。何故かそれが異性に多くて、その度に自惚れているわけではないけどどこまで仲良くなれるかなと考えてしまう。友達というのはどこからどこまでなのか、好きな人と仲良くなるのが友達って定義なんだけど、私の中の仲良くしたい基準がアレなのかな、いやだって人間として魅力的な人が多過ぎるでしょ、男の子だったらよかったのに。

いつも夢は覚えてないんだけど、今日は誰かと手を繋ぐ夢を見た気がして、それで誰と手を繋いでいたかはわからなかった。そういう自分に少し呆れます。

ほしいものがあるからお金を稼ぎたい

お金がほしい、だとこうなんか空からふわーってくるの待ってます!みたいな感じするけど、そうじゃなくて、お仕事頑張って、それでほしいものとかやりたいことのために使えるお金を稼ぎたい。

そしたらお仕事頑張って良かったなーと思える気がするし、働いたらお金がもらえるのは確かな事だと思うから、やっぱりほしいもののためにいっぱいお金を稼ぎたい。そのためにもやりたい仕事のためにも働こう。働こう。

書いて忘れる

あれやらないとこれやらないと、って頭の中で算段を立てていると、消化されずに頭の中でいっぱいになって次にやることの支障になるので、どっかに書いて、忘れる。映画のメメントみたいに、メモを頼りに「そうだった」と思い出して行動する。

しんどいことはあきらめろ

諦めるの悔しいから、なるべく目を背けずに取り組んだり付き合ったりしてきたけど、でも自分に力が無いとただ罵倒したり文句言ったり、悪態ついたりしてしまい心のどっか奥でしんどいなぁと思う時は、もうやっぱり、諦めよう。という気持ちになってきた。
へんな意地や、悔しさをいままでは感じて、後悔してしまう。と思ったけど、でもいまそこまで後悔していない。多分、後悔ではなくてプライドの問題であったのではないかと思う。
自分の正しさを証明するために誰かを言い負かせたり、反対したりするのは、ほぼほぼエゴに近い。

諦めること、諦めることが癖になってしまうと、残念な大人になってしまう。と思っていた。負けを認めるような気持ちになる。でもそうじゃなくて、諦めて次の行動を起こせばよいのだと思った。それにこだわって意固地になったり、卑下するのは何にもならないなと思った。

今でしょ、の林先生も、数学が好きだったけど数学の分野では一番になれないと思い知って、自分が一番になれることを考えた。と言っていた。林先生くらいの人でも挫折するのだったら私なんてもっと何もできなさそう。比べるのではなく、確率の話。KOHHもやりたいことやってそれだけ、嫌なことはやらない、遊んで暮らすって言ってるしその通りだと思う。サボれってわけでなくて、コーくんの場合は遊びが仕事なのだ。で、悔しいから、じゃあ違うところで頑張ろうって何度も挑戦するのが、一番の近道ではないか。と私は思ったしこれが私に合いそう。自分に合ったやり方で早く見付けたらいい。

自分の書いた文章が好きか

先日、ブログ書いている人たちと話していて、「自分の書いた文章が好きか?」と聞いてみた。
半数が好き、他はあまり好きではない、たまにしかよく書けたと思わない、だった。書いているうちに、うまくまとまらないという結果であまり好きではないということはあるのかもしれない。

個人的には意外だと思った、みんなそれなりに書きたいことを書けていて、それが自分というフィルターを通っているのだったら、自分の文章が好きなのだと思っていた。

私は自分の文章が好きだ。結構読み返してよく書いてるなーとか、何を書いたか忘れている状態で読み返すと知っているような不思議な気分で読み返せて面白い。もちろん上手いとか思っていない。てにをはだとか、構成とか、文体?だとか全く習った事もないし、好きな物書きの方々はいるけど、参考にしようとも思っていない、いわゆるちゃんとした、物書きとしての文章は書いたことはない。まぁ読みやすいとか最低限なんだったかのかわかるくらいでいいかと思っている。それくらいだけど、好きで、読み返すのが苦ではない(多分自分で自分の好みの文章なんだと思う)

多分このブログも遡ればいろんな書き方していて、テンションの違いとかがあって、それはそれで気恥ずかしいのだけど、なんとなく残している。気が向けば分けたりしたいけど、多分分けたところで続かない気がする。

日曜日、京都

日曜日、京都に来ている。土曜に用事があって日曜は何もなくてひとりで過ごしていた。
観光というほどどこかに行くわけでもなく適当に遅めの朝ご飯食べて、川の方に向かっていった、商店街にカメラ屋があったので写ルンです買ってパシャパシャしながら歩く、途中ふるどうぐ市やっていて立ち寄ってみた。



川の前にホホホ座によって本を見た。ディビットリンチの本あって数ページ読んだりZINE見たりした。レトロ印刷かわいいな、ZINEつくりたい。

川についたらコンビニでビール買って鴨眺めながらビール飲んでた。すごくいい天気で心地よい。1時間くらいビール飲みながら本読んでたけどあまりにのんびりすぎて昼寝したくなったのでホテルで昼寝した。

気がついたら夕方で、少しもったいない気がしたけど、ベッドでごろごろしてお腹すいてきたので夜ご飯食べに三条らへんまで歩いていった、途中アンドリューのエッグタルト見かけて、美味しいですよって話を聞いたので一個食べながら三条大橋あたりまでなんかないか探しにいった。夜は遊び終わりで活気のある人々がまだいて、それと同じくらい海外観光客がいた。

ドラッグストアでメイク落とし買って適当にご飯食べてホテルで明日の準備して今に至る。

私は、あてもなく散歩するのとか自由に過ごす時間とかが何をすればいいのかわからなくて苦手だったのだけど、何もない時間は何もしなくてもいいというのがだんだんわかってきた。
でも、これは京都に数日滞在できるからできることであって、東京に戻ると日常があって、あれやんなきゃこれやんなきゃ、みたいなのがある。もっとそういうもの整理整頓してシンプルに生きたい。