bftk

photo,memo,etc...

なんで書くのか
最近Twitterに疲れた、と思った。とたんに、疲れた、と思った。SNS、かれこれmixifacebookだコミュニケーション中心のもの10年以上横断して使っている。一番最初のインターネット体験はBBSとかだと思う。好きな絵を描いている作家さんのサイトのBBSに好きだと伝えるために書き込んだ。
で、最近何がどう違うのか考えていてコミュニティとかに疲れたんじゃないかと思った、人が嫌になったとかではない、視線や顔、面識を合わせていない人の言葉が受動的に受け取ることのズレが蓄積されたのだと思った。よく考えてみれば、コミュニケーションのためだったTwitterだったが、いつしか瞬間風速を捕らえるために使っていた。情報、私は情報(有益かどうかはさておき私の感性に触れたもののみ拾っていく)が好きで、無限に情報が流れてくるツールとしてTwitterもfbも活用していた。しかしここまで活用されるようになって優位性は無くなった、多分、私が現時点で知った情報は明日みんな知っている、ここに差はあるが特に意味はない。ディスっているわけではありません、あくまで自分の方法論の話です。タイムラインを見るの激減させて困ることがなくなった、手癖のようにアプリを立ち上げるのもやめた。そのかわりあなたの誰に向けたかわからない言葉を受け取れなくて少し寂しいです。画像中心のSNSを見ることが増えた、本屋に出向いて雑誌を買ってみたり前情報なしで新しい本買ってみたりした。何か知るためには自分から情報を検索することにした。結局のところ総じて摂取している情報量は減ってはいないと思う。でもそのうち物量に耐えかねて便利なものに走るんだろう。
そして、なんで書くのかという話の結論だけど、活字やテキストは残るものなので、これが何十年後にどういう影響を与えるかしらないけど、偶然にもこのブログのこのテキストを見て誰かが何か抱けばいいと思っているので書く。反応して生きていくのが人でありそのために何か伝えるのが人であるのではないかと私は思うので、なんでもいい、なんか大変そうですね、でも。私もそう思う、でも。何にも感じられないとしたら多分どちらかが不全なので、それもまたいいですね、という話だと思う。

今週のお題「私がブログを書く理由」