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年末年始と母親

昔から家でも特に正月らしいことはなく、近所や親戚付き合いもないので年末年始といったら家で昼夜関係なくテレビ見て、眠くなったら寝るのが我が家の過ごし方だった。
特に初売りセールなどで意気込んで欲しいものもなく、なんなら正月はどこも混むか休みで不便だなぁ…とか思っている。母親もそうだから家全体が泥のように重い。

働くようになってからも年末のギリギリまで働いていて、年末の雰囲気は感じるが正月らしさみたいなものは特になく、ちょっと連休が出来てやっと何も考えず時間を気にせず寝てられる寝正月である。実家が都内だと特に帰る田舎もないので、ただただテレビかCSの海外チャンネル一挙放送を見るか、母親に付き合って映画を観に行くのがここ数年であった。

実家を出て、珍しく何年かは実家以外で過ごすことがあった。特に干渉しない家族なので帰って来いと言われることもなかった。次の年の正月は実家で過ごしていた時だった。母親がぽつりと言った。

「今年の正月はあっという間だった、お前が帰ってきたから、去年はずっと家にいて退屈で長く感じた」

この言葉を聞いて、あと何回こうやって過ごせるんだろうかと思った。そして、いくら都内でいつでも会えて、必要とあれば電話やメッセージで繋がれても、母親はひとりで家に過ごすことしかできないのであった。
それからというもの、なるべく実家で過ごすようにしている。特に何か特別な事はないのだけど、出掛けに誘ったり母親の行きたいところに付き合ったり、何かするきっかけになればいいかなと思っている。幸い元気で、よく旅行に行くくらい足腰が頑丈なのでまだ一緒に同じ速度で歩ける。歩幅が合ううちにもっと一緒に居たいと思った。

かわいいよりかっこいい

かっこいい、そう言われる方が私は好きで、私は女性で、バイではないしストレートだけど、ずっと女子会だとか女性だけで集まるとか群れるとか意味がわからなかった。まず、なんで女性だからって一緒になんかしないといけないの?そこに呼ばれた人は身体的な女性という理由で声掛けられたわけで、もし精神的にそうでは無い人が声掛けられたとしたら?その反対の人がふるい落とされたとしたら?ていうかなんで男の人いちゃダメなの?って思う。
だから女子会という名目で集められるのが嫌だ。
でも多分こう呼びかけている人は悪気なんてないんだと思う。だって知らないんだから、自分以外の性に対して同じかその反対しかないって基準でここまで生きてしまっただけで、知るきっかけが無かったんだから。

デザインの仕事していても、デザインの仕事している人に女性だから女性向けのかわいいデザインが得意なんでしょ?って言われて、私が女性だからってかわいいのが好きな理由はないだろうがって思っている。私はかっこいいのが好きだからかっこいいデザインが好きだしできるならかっこいい方で選んで考えたい。
言いたいこととしては、私はジェンダーで苦労や辛いことはそんなに経験してないけど、女性だから、という意識が先行してる世の中が好きではない。

仕事で女性同士だからよかったことはあまり無い。生理だとか、体力差が多少あるとか、それくらいでしか助かったことない。あとは目をつぶって、耳を塞げば、残るもので男女の差は無い。

仕事で、私はそうでは無いけど、もしかして女性同士の方が話しやすい人もいるかな?と思って、便宜上で女子会しませんか?と言ったことがあったけど、やっぱりなんか違うなって思ったので、使わないでおこうと思った。誘う理由に使うにはもう古い。誘いたかったら誘えばいい。そういうことにした。

さむいさむすぎる

寒すぎる、人間は冬に生きられるようにできてないと思う。

逃げ恥が話題なので撮りためておいて観てなかったのを現行分までみた。3〜5話くらいまではプロ独身ていうかプロ童貞にはぁ!?とか思っていたけどよくよく考えるとみくりちゃんも無邪気に好意を出してみたりしてお互いすれ違いで凹んでいて6.7話くらいからどっちもどっちやん〜〜ちゃんと話せよ〜となった。というかんじでまんまと全話観ている、面白い…

IT業界的には、星野源さくらインターネットのオフィスでSEやっています。1話で開発の仕事!みたいな風景あるけどそれ以降はない。ガッキーがかわいいですね。

切り揃える

案の定、伸ばしていた髪を切った。

実は伸ばす気でいて、今日はどうしますか?と聞かれたのでやはり長さそのままで揃えてもらえますか?と話して一通り終えた。鏡に映る髪になにか違和感を感じながらまぁ伸ばしてる最中だしなぁなんて思っていたのだけど、美容師の方に仕上がりの説明を聞いている時にドキッとしてしまった。

「ショートから伸ばしてるから、実は長さがバラバラなんですよね」

何故かすごいドキッというかギクッとしてしまった。というのも、まるで自分のことだったからだ、あれこれ付け焼き刃のように覚えては慣れて、伸ばす前にまた次へといって。てんで長さがバラバラなのがまるで一緒だったからだ。
なので、一番短いので切り揃えてくださいと言って、髪を切り揃えたのだった。

髪が伸びた

髪が括れるほどに長くなった。

いつもの私は、長くなって見た目がすごく女性的になるのもなぜか自分で耐えられなくて、短い方が楽で(放っておくのが楽ということもある)、クセで髪の毛をいじってしまうから「あ…また髪の毛いじってるな」って自分に気がつくと頃合いだと切りに行って、美容師に「短いのが似合う人はいいことなんですよ」なんて言われてえへへそうかなあなんて思っていた。

「今日どうします?」っていう言葉にいつもなら「ばっさりお願いします」というところをなんとなく「長さそのままで整えてもらっていいですか」とか言ってるうちに肩まで伸びた。ここまで長いのは何年振りだろうか、逆にせっかく伸ばしたんだからとか考えてしまう。選んで短くしていた頃と生活や自分の顔つきが変わってきたようで、長かったり括れるのも悪くないんじゃないかなとか思うようになったけど、切ろうか染めようかどうしようかなとか考えるのも悪くないんじゃないかなって思っている。

とかいってバサッと切るんだろ、節操がないな。

生きていればなんとかなる

わけないと思うし、勝手に幸せになったりも救わたりするわけもないと思う。
自然の成り行きというものは信じている。草も花も、水や空気というものがあって生きることができる。しかし動けないし外的要因があったりして半ばで枯れることもある。これは草木は自ら選べないが私は選べる。それに比べたら、生きているのだから生きていればなんとかなる。これは条件である。ある程度の運命は変えたり選ぶことができるんだから自分から幸せになれと思う。
なのに、なぜ勝手に幸せになると思っているのか。生きろ。

連休の過ごし方

GWとにかく何も考えずにゆっくり過ごした、時間が取れたらやりたいこと。とかはあったのだけどそういうのも変に義務感みたいになってしまって、できなかったら1日の満足度低いと感じてしまうので、そういうのもやめた。
あと少し前から言っていたSNSなんか疲れた、というのもまあ結局自分の距離感なんだろうな、ってことにした。インターネットで疲れるなんてこと自分にはないと思っていた。そういえば自分はインターネットは好きとかではなくて当たり前に存在してるものとして認識していて(デジタルネイティブ世代ではないけどSF映画だとかゲームだとかそういうもの見ていたので違和感がなかったのかもしれない)ネットに出会ったのは15年以上前の話なのだけれど、時代が変わってネットはもう社会になってしまったので私の「当たり前」が今はもう変わったのだと思う。懐古的になってしまうのは良くないと思うのだけど、流れに身を任せるのもよくはないので、まあ距離感なのだな、ということにしている。インターネットが発達して進化しても使う人間は特に進化していないので当たり前だと思う。
で、明日からまた日常が始まるけれど、人と目を合わせて働きたい。私は人の一番好きな部位は目なのだった。