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初めて救急車で運ばれた
普通に昼間に出掛けて、ちょっと遅めの昼ご飯を食べて、このあとどうするー?なんて話して買うもの思いついたついでに最近疲れてたしマッサージの予約して電車移動して買い物が終わったらマッサージに行った。

ここまで普通だった。マッサージが終わってあー気がついたら寝てしまったなぁなんて思いながら最後ストレッチをしていた時に急に頭が重くなって体温が熱いんだか寒いんだかわからなくなった、店員さんに「すいません…気持ち悪いです…」っていって水を持ってきてもらった時には座ってられなくて、胃が込み上げてきて「すいません、吐きます、なにか…」と言ったら店員さんが桶的なもの持ってきてくれて吐いてしまった。その後、腹痛がきてとにかく気持ちが悪いし痛いのでトイレに向かわせてください、とトイレにいたけどそこでも全く良くならず、変な汗ダラダラかいて体温が冷えていくような感覚の中店に戻り、このまま店にいては良くないと思って「よくなりませんでした…すいません救急車呼んでもらえますか」ということでそのまま救急車に乗って救命に行った。

ここまで意外と鮮明に覚えてるけどここから先はよく覚えていなくて、気が付いたら救急処置室で、点滴されていた。検査の結果なにもなかったけど急激に血圧変化があって自律神経のバランスが崩れてしまったのではないかということだった。2時間くらい経ったと思ったけど処置が終わって時計みたら5時間経っていたのだった。何事もなくて良かったのだけど、とにかく怒涛の1日だった。色々な人に心配とご迷惑をおかけした、私が5時間も倒れている間、旦那さんが色々と連絡してくれて大事にはならなかった。本当に助かった。

結局なんだったんだろうね?っていう結果だったのだけど、胃腸炎のような症状もあるしとにかく安静に、ということで養生していた。なんだったんだろうか、ストレスなのかもしれないし疲労が積もり積もったのかもしれない。夏は特に体調を崩しやすいので、気を付けようと改めて思い知った出来事でした。

そういえば、写メって言われていたくらいの時代、鮮明ではなくてもみんなガラケーで写真を撮ることはできた気がする。でも今ほど必死に写真撮ってなかったよなぁ、やっぱり写真をシェアして自ら発信(なのかな)できるようになったのが一番の要因なのか。その昔のインターネットは環境がある人しか使えなかった、多分私もその1人で今の世の中はその延長線にあるので、大きく何かを歪ませることはなかった。

便利になってよいことだけど、発信者になれてしまった人は今発信できるようになって幸せなのだろうか。
最近、外的要因でなれてしまったことをよく考える。

結婚した

と昨今言うと、様々な距離感の人から機械な仕組みを通していいね的なラベルを貼られたりする、それを素直に受け取れないので特に不特定多数に目に入りそうなSNSでは言わなかった。会えそうな人、近しい人には言葉で言った。たくさん祝福をされた、ありがとうございます。

結婚についてこだわりが無かった。というこだわりがあったように今は思える。
理由は何個もあって、大きくは両親が離婚していた。結婚イコール永遠や絶対ではないと子供の頃に思った。幸せっていうやつは形式でもないのだとそこで初めて感じた。それからは私たち子供のために一生懸命働く母親を見ていたので女性は優しく穏やかに家に居るものだけではないのだと思った。母親からは逞しさを教わった。同性だからか、歳をとるごとに尊敬する。

昨今、形にとらわれない多様性が認められやすくなったし、声高に主張することが多い世の中に思える。自分はそういったもので特別困ったことはないのだけど、肌で何かを感じていて、先の理由も相まって結婚とかどうでもよかった。しかし裏を返せば、それらを理由に考えたり感じたりすることを先延ばしにしているように思えたし、したくないわけでもないということで、しない理由もなかった。

要するに、言い訳にしたくなかったのだと思う。多分人生の中で何度もないことを言い訳や免罪符に使うようなことにしたくなかった。元に戻れないのだから、そういう後悔をしたいわけではなかった。だからそう思える自分とそう思ってくれている(のかなーわかんないけど)人と普通に結婚しました。

いろんな問題を突きつけられる

なんか最近ネットで思うことがあってその一つに、自分が関わる事がない、もしくは無意識に理解していないだろう問題が可視化されて、「いいですか?関係ないという意識でいては駄目なのです。」と突きつけられるような事が増えるように思えた。

確かにいろんな問題があって、当事者や関係者は意識してほしいかもしれないけど、微妙に関係ないでいるとただ単純に考慮のチェックリストが増えるだけで、何故かほんの少しだけ罪悪感があるようだった。

クラッシュ

人と映画の話をしていて、よかった映画何かあるか聞かれたのでしばらくうーんと考えて、クラッシュと答えた。
劇場で観たときはとにかく苦しくて皮肉の効いていて、それでも生きることを描いている映画だと思った。その時はまだ高校生で情勢だとか事情だとかよくわかってなかったのもある。

人に薦めておいて、かなり時間が経っているので観直した。「なんでこんなことをしてしまったんだろう」という映画だった。

好きな人がたくさんいる

とにかく好きな人に出会うともっと仲良くなりたい。と思う。何故かそれが異性に多くて、その度に自惚れているわけではないけどどこまで仲良くなれるかなと考えてしまう。友達というのはどこからどこまでなのか、好きな人と仲良くなるのが友達って定義なんだけど、私の中の仲良くしたい基準がアレなのかな、いやだって人間として魅力的な人が多過ぎるでしょ、男の子だったらよかったのに。

いつも夢は覚えてないんだけど、今日は誰かと手を繋ぐ夢を見た気がして、それで誰と手を繋いでいたかはわからなかった。そういう自分に少し呆れます。

ほしいものがあるからお金を稼ぎたい

お金がほしい、だとこうなんか空からふわーってくるの待ってます!みたいな感じするけど、そうじゃなくて、お仕事頑張って、それでほしいものとかやりたいことのために使えるお金を稼ぎたい。

そしたらお仕事頑張って良かったなーと思える気がするし、働いたらお金がもらえるのは確かな事だと思うから、やっぱりほしいもののためにいっぱいお金を稼ぎたい。そのためにもやりたい仕事のためにも働こう。働こう。