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よい知らせ悪い知らせ

最近思ったけど、あんまりよい知らせを受け取っていない気がする。

さっきも悪い知らせがきた。直接的に私がどうこうとかではないんだけど、え、なにそれでどうすればいいの…みたいな気持ちになるようなモヤっとした事が多い。できれば避けたい。最近避けたい、と思う事が多くなったように思う。

友達と飲み話したときに、お前なんか良かったねってなる話あんまりないよなって言われた。私もそう思う。よくめんどくさい人とか厄介な人に絡まれるよねとかここ5年くらい結構言われている。
いい知らせや話できるようになりたい。

感情の上書き

感情とか文章とか鮮度の高いうちに、と思うけど、鮮度が高いゆえに荒削りで良し悪しがあることもある気がする。
何もかも共有しようよなんて言われて、なんでだよと思うから、ここにある文章は、もしかすると嘘の事を書いていて、後から見返して、ああそういえばそうだったなぁとか感情を上書きされてるような気もする。メメントって映画、サスペンスというより、自分で描いた迷路の中で迷う事で生き続けるような感じが、感情の上書きという気がする。

祝い事と、ケーキ

小さい頃から甘いものやお菓子が特に好きではなかった、よく親戚とか大人に「お菓子買ってあげるよ」とか「好きなケーキなんでも選んでいいよ」とか言われても本当に食べたいと思わないからいらないって言っていた(遠慮しなくていいんだよ〜とか言われたけど本当に欲しくないので困った思い出がある)
だから小さい頃、誕生日とかにケーキを出されても食べきれなくて、ケーキあんまり食べないから、そのかわりにご飯はいつもより豪勢とかがあった。

そんな私なのに、今日、祝い事のためにケーキ買った。なんでケーキなんだろう、と思ったけど綺麗に飾り付けているケーキってすごい特別に見えるようになった。すごい手間暇かかって小さい一個の中に色んな甘くて美味しいものが詰まってる。

もらったら嬉しいとわかるまで随分時間がかかった。

一度言ったからもう言わない

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。何に。

新年から声を荒げて言い争ってしまった。

怒ったのだった。理由は相手の些細な一言だった。些細な一言なのだけど、その些細な一言はいつも会うたびに積み重なっていて、その度に私は気になっていたことをまぁいいかと見ないふりしてやり過ごしていたのだが、私の中で砂時計みたいに少しずつ怒りを募らせていたみたいで、それがたまたま今日だった。怒ると理路整然に建設的にしようと話す一方で的確に感情を言葉にして放つと相手も取り繕おうと言葉を出してそれにも切り掛かるので、自分でも厄介だと思う。都合のいい時だけ関係性を出してきて二人の仲だからいいだろうと言われたら甘んじるんじゃねえと切り返す、しまいには黙らせてしまって、黙ってるのは不戦勝になってしまうからなんか言わせるために何か話す。結局相手から謝られる事はなくただ些細なことで怒った私だけがそこに残った。なんなのだ。些細なことだったら小出しにしていいと思ってるのか。

ここに書いてるだけでまた怒り出しそうになってきた、私は短気なのだった。短気だからあらゆることに干渉しないで鈍感になることでバランスを取っている、極論言うと自分と合わなければ、本当にどうでもいいから、無事に何処か私の見えないところで平和に暮らしてくれと思う。思うけど、そういうのに限ってなぜかしぶとく私に関わる。
関わること自体はもう仕方がないし私は同じことで2回は怒らないと決めている。怒った時はもう多分最後で自分から抹消することにしてる。もう言わない。だって一度怒ったから。もう二度と無い。二度目があったとしたら私の中ではもう終わっているので空を見てるのと変わらない心情である。
私は冷たいのだろうか、心が無いのだろうか、人を思いやる優しさが無いのだろうか、自分を棚に上げてるだろうか、なぜこうしかできなかったのか。

年末年始と母親

昔から家でも特に正月らしいことはなく、近所や親戚付き合いもないので年末年始といったら家で昼夜関係なくテレビ見て、眠くなったら寝るのが我が家の過ごし方だった。
特に初売りセールなどで意気込んで欲しいものもなく、なんなら正月はどこも混むか休みで不便だなぁ…とか思っている。母親もそうだから家全体が泥のように重い。

働くようになってからも年末のギリギリまで働いていて、年末の雰囲気は感じるが正月らしさみたいなものは特になく、ちょっと連休が出来てやっと何も考えず時間を気にせず寝てられる寝正月である。実家が都内だと特に帰る田舎もないので、ただただテレビかCSの海外チャンネル一挙放送を見るか、母親に付き合って映画を観に行くのがここ数年であった。

実家を出て、珍しく何年かは実家以外で過ごすことがあった。特に干渉しない家族なので帰って来いと言われることもなかった。次の年の正月は実家で過ごしていた時だった。母親がぽつりと言った。

「今年の正月はあっという間だった、お前が帰ってきたから、去年はずっと家にいて退屈で長く感じた」

この言葉を聞いて、あと何回こうやって過ごせるんだろうかと思った。そして、いくら都内でいつでも会えて、必要とあれば電話やメッセージで繋がれても、母親はひとりで家に過ごすことしかできないのであった。
それからというもの、なるべく実家で過ごすようにしている。特に何か特別な事はないのだけど、出掛けに誘ったり母親の行きたいところに付き合ったり、何かするきっかけになればいいかなと思っている。幸い元気で、よく旅行に行くくらい足腰が頑丈なのでまだ一緒に同じ速度で歩ける。歩幅が合ううちにもっと一緒に居たいと思った。

かわいいよりかっこいい

かっこいい、そう言われる方が私は好きで、私は女性で、バイではないしストレートだけど、ずっと女子会だとか女性だけで集まるとか群れるとか意味がわからなかった。まず、なんで女性だからって一緒になんかしないといけないの?そこに呼ばれた人は身体的な女性という理由で声掛けられたわけで、もし精神的にそうでは無い人が声掛けられたとしたら?その反対の人がふるい落とされたとしたら?ていうかなんで男の人いちゃダメなの?って思う。
だから女子会という名目で集められるのが嫌だ。
でも多分こう呼びかけている人は悪気なんてないんだと思う。だって知らないんだから、自分以外の性に対して同じかその反対しかないって基準でここまで生きてしまっただけで、知るきっかけが無かったんだから。

デザインの仕事していても、デザインの仕事している人に女性だから女性向けのかわいいデザインが得意なんでしょ?って言われて、私が女性だからってかわいいのが好きな理由はないだろうがって思っている。私はかっこいいのが好きだからかっこいいデザインが好きだしできるならかっこいい方で選んで考えたい。
言いたいこととしては、私はジェンダーで苦労や辛いことはそんなに経験してないけど、女性だから、という意識が先行してる世の中が好きではない。

仕事で女性同士だからよかったことはあまり無い。生理だとか、体力差が多少あるとか、それくらいでしか助かったことない。あとは目をつぶって、耳を塞げば、残るもので男女の差は無い。

仕事で、私はそうでは無いけど、もしかして女性同士の方が話しやすい人もいるかな?と思って、便宜上で女子会しませんか?と言ったことがあったけど、やっぱりなんか違うなって思ったので、使わないでおこうと思った。誘う理由に使うにはもう古い。誘いたかったら誘えばいい。そういうことにした。

さむいさむすぎる

寒すぎる、人間は冬に生きられるようにできてないと思う。

逃げ恥が話題なので撮りためておいて観てなかったのを現行分までみた。3〜5話くらいまではプロ独身ていうかプロ童貞にはぁ!?とか思っていたけどよくよく考えるとみくりちゃんも無邪気に好意を出してみたりしてお互いすれ違いで凹んでいて6.7話くらいからどっちもどっちやん〜〜ちゃんと話せよ〜となった。というかんじでまんまと全話観ている、面白い…

IT業界的には、星野源さくらインターネットのオフィスでSEやっています。1話で開発の仕事!みたいな風景あるけどそれ以降はない。ガッキーがかわいいですね。