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なんか懐かしくなって過去の記事を見ていた

2014年くらいの記事読み返していて、なんか大変だけど楽しそうに生きててよかった。

2015年くらいから仕事柄IT系やらWeb系とかそういう方面に触れ初めて明確に自分は変わったというか翻弄されているように思う。ブログの文章もそうなっている気がして、会ったことのある人や誰かに読まれているという感じがある。ここ数年は、自分が気になって嫌なものを否定するためになんか書いていたものがあった。なんだそれは、そんなことしていた自分にむかつくな…ほんの数年前なのにとりまく環境が変わったのだ。

 

もうあの頃みたいなブログは書けないんだろうか。

目にも見えるものが全てじゃないとおもってるけど - bftk

そういえばそんなこと書いていた気がする、と思ってこの記事を思い出した、大して生きていないけど、やっぱあの頃とかこのころとか忘れている気がする。

 

ここ最近過去のことを良く考えている。いいから前を向けという気もする。多分出会いと別れの季節、春が近づいてきたからだと思うんだ。

2017年のアウトロダクションが聴こえる

今年もそろそろ終わりそう、先日Aの音源と映像が出て、ああ、夏はそういえばそんなことがあったな、みたいな気持ちになった。 

A ?全国ツアー2017- [DVD]

A ?全国ツアー2017- [DVD]

 

 

この日の事は、よく覚えなくて音源聴きながら思い出していたけど、覚えていないというより誰にも言いたくないに近かった。というのも、Qというアルバムのに対してAというツアーが答えだったので、そういうのをあれこれ書くのはなんか違った。共感が欲しいわけでもなく、自分の感想も言葉に上手く出来る自信もなかったのだけど、御託はいいから行こうか。

音源と映像には、ある曲の歌詞が編集されて聴けない。そしてあの時語ったMCも収録されていない、だからあのライブで起こった事は自分の中にしかなく、公式がどう切り出すのか待っていたのもあって、結局今こうやって感想を書いている。

アルバムを聴いた時の感想は、前に書いた通りだけど、スーツ着てやってきたと思った。そしてメディアで語られているように今までの切り刻まれるような恋愛の曲でもなく、あくまで少年性という感性で作られていた。だから最初聴いた中でも失楽園が一番好きだった。しかしそれらはQという曲のバランスを取るために作られた曲で、私は少年ではなかったから、ぼくという一人称で書かれた曲や少年性の強い曲には正直あまり思うことがなかった。

しかし、ライブで歌われた曲は本当の歌詞で歌われた。その瞬間になんかわからないものがなんとなく輪郭が出てきた。具体的な事を言われてるとやっと察する事ができる、自分はまだまだ鈍感な人間なんだと思った、どんなに感性を磨いても配慮しても所詮自分だけの中でしか感じることができないのだった。

あの時のこと、今でもよく思い出せないのだけど、歌われた歌詞だけがずっと残っている。音源と映像にはぽっかりそこだけがない。思い出すように音源と映像を観て聴いて、初めて自分の中で完成した気がした。少年が社会に踏み出して、少年が終わっていく物語だった。あの少年は何処かに行ってしまって、今はもういないけど、そこには外の世界へ一足先に歩き出した女王蜂がいて、アウトロダクションが鳴った。

 

 

そして、クリスマスの日に恒例のアヴちゃん生誕祭ライブがあった。ロッキンホラーショーの公演を経てワンマンライブがあった。この日は凄かった、Aより凄いと思ってしまった。優しい歌を歌えば歌うほど泣けてきて、モーゼの様に人をかき分けて歌っていた時はもうよくわからな過ぎてついに泣いてしまった。ライブ来て毎回思うけどここの客層はお上品だなと思った。もう告げ口なんかしなくていいんじゃないから、誰にでも認めさせる力があるんだからさ。ヒップホップとロックな新曲も披露されて、益々勢いと表現が上手くなっていくので、きっと来年もこんな調子で最強なんだろうなぁなんて思った帰り道だった。

土日、例のパワハラセクハラ問題を皮切りに私のTLで今までされた事を書いている人がいて、きっと大変で本人は苦しかったんだろうなぁ、その時に何かもっと何かできたのかなと思う反面。
えーじゃあ酔って私にした事って、アレってなんなの?っていう気持ちもあったりして、直接的にそれとそれは関係してないし別問題で考えるべきなんだけど、人間なもんで素直に考える事ができないっていうか、なーんか引っかかってしまって、対岸で眺めてた。

それについて怒ってるのかって聞かれたら、嫌だったなぁ今思うとって感じだし毎回酔ってベタベタされてこいつコレがやりてえだけだなと思ったし、謝って欲しいかって聞かれたら別にっていうか、この人、ここで私が言わなければそういう事したっていう自覚のないまま死ぬんだろうなぁという諦めというか、慈悲に近いものがある。いや慈悲なんて高等なものでもない気がするな。

じゃあ公にして周りに知らしめて信用を落として自らが正しいと思い知らせてやりたいのかっていうと、いやまぁ最小限で最強に最奥まで刺して終わりたいっていうか、あの人酔うとベタベタしてきますよ、とかは女の子に注意してあげたいけど本質的じゃねえつーか、つうか気安く触んなよって感じだし、どうせ酔ってましたとか、スキンシップのつもりでしたとか、やり過ぎました、みたいな答えが返ってくる事も何と無く想像できるんだけど、そこまで容易に想像してやっぱ謝って欲しいわけではないんだよなぁと益々思う。

じゃあ何して欲しいのって考えたけど、謝罪とかいいから、もう同じ事を繰り返すんじゃねえよって思った。同じようなことを繰り返すとか犬かよ。気づいて学べよ、と思った。で、じゃあそれを本人に言うたれよ、と思ったけどなんで言わないかと言うと、多分言っても聞かないんだろうなぁとプライド高そうだし、自分がこれらの件で非を認めたくないんだろうし、って心の奥底で思っていたのだった。

私の中でこの事は、本人は私の思った事に気付かないまま死んでいくんだろうなあ…みたいな覚めた気持ちだけが残っている、繰り返さないことを行動などで証明されない限り、多分許さないんだと思うし一生悔やむ、もしくは理解できないまま人生を過ごして欲しいんだと思います。

髪を切った

何かと髪を切るか伸ばすか悩んでいたが、何年かぶりに長い状態になった姿を見て、あ、なるほどねという感じになって、今日ばさっと切ってボブにした。
短くなるとああやっぱこれだなあなんて思っていたりするけど、年齢のせいなのか長い方が落ち着いて見えていたなぁとか少し名残惜したかった。
切り終わったあと「やっぱりボブが一番似合いますね」と言われて、有り難いんだけど、うるせえよ似合うかどうかは私が決めるしいつだって一番わかってんだよ。とか思った。

髪を洗うのと乾かすのが感動するくらい簡単になった。

8月、涼しくて雨が降ってる

高校の時を思い出す。ていってもろくに学校なんていってないんだけど、ふと目がさめると遅めの朝で、外は車が濡れた路面を走る独特の水を跳ねる音が絶え間なく聞こえていて、薄暗いから夜だか昼だかわからなくて、あーもういいやって学校をサボる。でもそのまま寝続けるほど眠気もなくてこのまま1日終わるのもすごく死にたくなる気がして(もっと前から死にたくなってるんだけど)、夕方くらいから外に出掛ける準備して、バイト行くか1人で遊びにいくかしてた。この時一番自分が社会から外れていて何者かわからなくて、辛いんだけどなにも気力が無くてどうやったら誰にも責められずに居なくなれるかばかり考えていた気がする。バイトしてたからお金は少しあってそんなに欲しくないくせに何か買っては何かを満たしていた。友達もそんなにいなかった。これをずっと繰り返すのか、と思ったら沼みたいに抜け出せなくなるんじゃないかとどこかで思って社会に寄っていったような気がする。少しだけモラトリアムってやつをみんなより早く経験してしまったのかもしれない。
大人になったら朝ちゃんと起きて仕事で責任あることを任されて生きるのなんて怖くないのだと思ってた。だけど今になっても全然何も変わってない気がする。今でもあの頃に外の音を遮断するように効いていた曲を思い出す。あの頃よく聴いていたなって、懐かしくて聴きたくなるんだけど、聴いたら本当に戻ってしまいそうだから聴いていない。あの頃の何もないを繰り返すような気分に戻りたくないくせに。この湿気がある空気がまとわりついてくる。

夏のどこかで急に肌寒くなる瞬間がある。店の冷房の涼しさが嬉しくなかった、ふと立ち寄った服屋が秋物を並べていてもう夏も終わりが近づいている気がした。いつも暑いから気が付かないけどもう8月も半ばである。
服を見ていて、落ち着いた色合いを見ていると少し気分が下がる。悪い方向ではなく、もう夏の浮かれた雰囲気はおしまいですよ、と言われている気がする。また何枚も服を着重ねる時期になるのか、面倒くさいな。いつも秋と冬は着たい服がない。上に何か羽織るものを出しておかないと。

最近、些細な変化に気を付けないとならないような年齢になった気がする。別にそれらは理由ではないけど、理由っぽくなれば少し安心する。